道と人との距離byシキナミカズヤ


残念ながら前回のコラムで紹介された路上演劇を見ることができませんでした。演劇というと普通はステージで行われているものを椅子に座ってみるものです。そのステージ上では、ある街を設定してそこでの営みを見せるわけです。ステージ上で表現するということは、ある意味「街」というリアリティを出すには限界があるわけです。
一方映画というものもあります。設定された街にて実際に営われている様子をフィルムに納め、それをつなげてひとつのストーリーを映像というフィルターを介して見るというもの。街の中で実際に行われる分、現実感が高いが、映像に焼いたものを見るというカタチである以上、リアルタイムな臨場感はないです。
そこで、路上演劇。実際の街でリアルタイムに繰り広げられるストーリーを、その街の中で見る。同じ場所にいるということは、音だけでなく匂い、肌に感じる気温や風、ストーリー以外の場所で行われている実際の普通の生活、・・・。そういうなにもフィルタを通さずにストーリーに生に感じることが、きっと通常の演劇や映画などとはまったく違った何かを感じることができたのでしょう。

さて、想像でこんな話をしてもしょうがないので、話を変えます。
街(ここでは人々の生活そのものとしてとらえてください)と街をつなぐものは道です。現在、どの街においてもそれをつなぐ道は車のためのものです。車というのは、外の世界とは隔離された閉鎖的な空間が、人間の本能が持つ許容を超えたスピードで移動する物体です。だから、街の中にたくさんの車が行き来していても、街にいる人と車に乗っている人がつながることはありません。そう、まさに映像の向こう側の役者とそれを見ている観客のような、そんな関係です。
街に住んでいるといっても、街の外と繋がることのできない、そんな閉鎖的な空間になってしまっているんです。

歩行者天国を皆さん一度は経験しているでしょう。道路から車が消えるだけで色んなことがおこります。例えば、沿道のお店は道路まではみ出してみたりします。車に支配された道では、道と街の境界線がはっきりしています。それが、道から車がいなくなった途端に、その境界線はとてもあいまいになるんです。
例えば、街に生活する人が、道行く人を呼び止めることができます。車の中の人をいくら呼んだって、止まれるわけがないですし、第一聞こえないでしょう。車の無い道は徒歩か自転車です。呼び止めれば振り向くことができます。道を移動するスピードを変えるだけのことなんですけどね。

歩行者天国は商店街など商業エリアで行われているものですが、もっと人々が暮らす街の中で行われてもいいですよね。晴れた日は外にイスを出して日光浴しながら本を読んでみたり、子供たちは車が来るのを気にせずに思いっきり走り回ってみたり、わざわざ公園まで足を運ばなくても気軽に家の前で色々できる空間が生まれるわけです。
交通を整理するということは、新しい公共空間を生み出すということにもつながるわけで、都市で人間らしく生活するための色んな問題が、ここで解消されるんじゃないかと思ってるわけなんです。
その昔、車が無かった頃は、道というのはそんな使われ方でした。「移動する」という目的だけじゃない、いろんな使われ方がされ、そこに自然に人間同士のコミュニケーションが営まれるはずなんです。

都市の交通を整理するとは、環境負荷を軽減するだけではありません。営みの場を、もう一度人々の手に戻したい。僕は、そんな気持ちでございます。