目指せ!!「横浜コンシェルズ」

「自転車に乗って、ヨコハマにでかけよう」!
とっても、いい、タイトルですね!!
まさしく、ヨコハマ都心部の移動は、自転車が、とっても、便利です。
僕のライフスタイルに、朝の自転車ヨコハマ散策が、しっかり、組み込まれました。
ヨコハマ都心部の姿は、「現在・過去・未来」が、一様に眺められて、とても、不思議な感じです。
自転車に乗りながら、発見した、最近の「僕の好きな風景」をご紹介します。


朝日に照らされた、みなとみらいのビル群


白い外壁が、オレンジ色に染まります。観覧車の影が、背景のビルの外壁に丸い影として映ります。


11月中旬の街じゅうの街路樹が、色づいて来ます。


日本大通りの銀杏並木の「緑色」から、「黄色」へ、日を追うごとに変化して・・・
歩道は、黄色い絨毯に、子供たちが、転がりながら、遊んでます。
・開港広場から、スタジアムまでの欅(けやき)の街路樹も「茶色」「赤色」「緑色」と、様々な色に・・・
道行く人々のスタイルも、その年の流行りの色彩で、街を演出してくれます。
山下公園から、港の見える丘公園へ、秋のバラ園は、色とりどりの花と香りが素敵です。
・みなとみらいの人工的な街の姿の中にも、秋の色が、とっても、印象的に、映ります。
1年を通して、ほんの、一瞬の間だけ、です。

ヨコハマ都心部の風景の最も、大切な要素、「水辺」です。

・水辺にゆらゆらと、映る、すべての景色が、「水辺」を介して、倍増するような・・・
ヨコハマの水辺は、とっても、近い所にあります。
もっと、もっと、近づいて、観てみたいです。
・夜の水辺は、昼間とは、異なって、鮮やかなネオンサインや、街灯り、窓の灯り・・・
水辺が、キャンバスになって、・・・・
そんな、灯りの向こうには、人々の、たくさんのドラマがあるのかなあ・・・・
4、まだまだ、たくさんあり過ぎて・・・
皆さんに、紹介しきれません。
人と人が、繋がって、それぞれの、視点で、発見して、楽しんで、感じて、・・・・
身体、全体で、ヨコハマを感じて、欲しいです。
「自転車」・「ベロタクシー」・「シーカヤック」・「歩く」
このような、ゆっくりとした、「速度」の移動手段(モビリティ)が、人には、優しく、
自然に身体へ「ヨコハマの都市の魅力」が、浸透して、くれるような、気がします。
「暮らす」・「働く」・「憩う」に加えて「移動」をいろんな形で、多くの人々に、身体で感じて欲しいです。
新たな「ヨコハマ」発見の道具、「モビリティデザイン」を進めていきたいです。
目指せ!!!「横浜コンシェルズ」

道と人との距離byシキナミカズヤ


残念ながら前回のコラムで紹介された路上演劇を見ることができませんでした。演劇というと普通はステージで行われているものを椅子に座ってみるものです。そのステージ上では、ある街を設定してそこでの営みを見せるわけです。ステージ上で表現するということは、ある意味「街」というリアリティを出すには限界があるわけです。
一方映画というものもあります。設定された街にて実際に営われている様子をフィルムに納め、それをつなげてひとつのストーリーを映像というフィルターを介して見るというもの。街の中で実際に行われる分、現実感が高いが、映像に焼いたものを見るというカタチである以上、リアルタイムな臨場感はないです。
そこで、路上演劇。実際の街でリアルタイムに繰り広げられるストーリーを、その街の中で見る。同じ場所にいるということは、音だけでなく匂い、肌に感じる気温や風、ストーリー以外の場所で行われている実際の普通の生活、・・・。そういうなにもフィルタを通さずにストーリーに生に感じることが、きっと通常の演劇や映画などとはまったく違った何かを感じることができたのでしょう。

さて、想像でこんな話をしてもしょうがないので、話を変えます。
街(ここでは人々の生活そのものとしてとらえてください)と街をつなぐものは道です。現在、どの街においてもそれをつなぐ道は車のためのものです。車というのは、外の世界とは隔離された閉鎖的な空間が、人間の本能が持つ許容を超えたスピードで移動する物体です。だから、街の中にたくさんの車が行き来していても、街にいる人と車に乗っている人がつながることはありません。そう、まさに映像の向こう側の役者とそれを見ている観客のような、そんな関係です。
街に住んでいるといっても、街の外と繋がることのできない、そんな閉鎖的な空間になってしまっているんです。

歩行者天国を皆さん一度は経験しているでしょう。道路から車が消えるだけで色んなことがおこります。例えば、沿道のお店は道路まではみ出してみたりします。車に支配された道では、道と街の境界線がはっきりしています。それが、道から車がいなくなった途端に、その境界線はとてもあいまいになるんです。
例えば、街に生活する人が、道行く人を呼び止めることができます。車の中の人をいくら呼んだって、止まれるわけがないですし、第一聞こえないでしょう。車の無い道は徒歩か自転車です。呼び止めれば振り向くことができます。道を移動するスピードを変えるだけのことなんですけどね。

歩行者天国は商店街など商業エリアで行われているものですが、もっと人々が暮らす街の中で行われてもいいですよね。晴れた日は外にイスを出して日光浴しながら本を読んでみたり、子供たちは車が来るのを気にせずに思いっきり走り回ってみたり、わざわざ公園まで足を運ばなくても気軽に家の前で色々できる空間が生まれるわけです。
交通を整理するということは、新しい公共空間を生み出すということにもつながるわけで、都市で人間らしく生活するための色んな問題が、ここで解消されるんじゃないかと思ってるわけなんです。
その昔、車が無かった頃は、道というのはそんな使われ方でした。「移動する」という目的だけじゃない、いろんな使われ方がされ、そこに自然に人間同士のコミュニケーションが営まれるはずなんです。

都市の交通を整理するとは、環境負荷を軽減するだけではありません。営みの場を、もう一度人々の手に戻したい。僕は、そんな気持ちでございます。

都市、孤独、そして自転車・・・

初秋、吉田町にあった路上演劇の話しをします。
自分自身、この上演に仕事として関わっていたので、
どの切り口から書こうか、大変悩んでいます。
それが、タイトルになっているのですが、
名文を書ける自分でもないし、結局考えるのをやめて、
経験したことをあるがままに書くことにします。

この公演は、急な坂スタジオという野毛山にある
公共の結婚式場を転換した舞台芸術施設を運営している団体により、
プロデュースされたものです。

彼らが話していたのは2年前、私が具体的に話しを聞いたのは、1年前だった気がします。
実際に開催が決まり、作家が来日したのが、今年の4月。
事前に聞かされていた話しは、街全体にインストールされる演劇のため、
道路を通行止めにし、営業中の店舗を借り、街路灯を全消灯する、等々。
作家は、横浜の中心市街地を隈なく歩いた結果、
「吉田町がベストだ。後は宜しく。」
と言って地球の裏側へと帰っていきました。
急な坂スタジオのプロデューサーは、意志の強さこそが、その人の強さという方。

この彼らの熱意が天に通じたか、
街の方の多大なるご協力により、公演は実現へと向かいます。
私は調整役として、一安心。
世界各都市が実現したものが、創造都市を掲げる横浜で実現できなかったら、
と内心ヒヤヒヤしています。
そこは、不純かもしれませんが、自分にとってのモチベーションのひとつ。
正直に申し上げますと、あまりにもハードルが高いので、下を潜った次第です・・・。


そして、本番を迎えます。
大勢のお客様にご来場いただき感謝。
世界中で公演は行われているものの、横浜と融合したこの作品の持つ
「この時、ここでしか体感できないもの」
の強みを再認識させられます。

見る人、通行人、セットを組まれた店、通常営業をする店、
街と舞台の境界線がなくなっています。
関係者は、都市空間と演劇の融合に驚いている様子。
道路照明が消えた街は、とても美しく、
窓から漏れる灯りからは人の生活が感じられます。
一緒に仕事をしている照明家の方が、
以前から提案されている街としての空間が、
期せずして、そこにあります。

私は、歩行者で埋め尽くされた道路を見て、
自転車に乗った通行人との事故が起きないよう、
スタッフに指示することで、頭が一杯です・・・。


実際の公演の内容はというと、ある人が話すことが、とても印象的です。
「早く帰って家族の顔が見たくなります。」

この作品は、実際に「都市の孤独」に取り組んでいます。
王道のテーマです。
ラ・マレアと呼ばれるこの作品は、
9つのオムニバスが同時に何回も上演されるものです。
その9つの話しは、一つも繋がっていません。パラレルワールドです。
それが、ひとつの空間の中で表現されています。

私は、生活の中で、家庭、職場、サードプレイス、
様々な空間で、多くの人と繋がっています。
でも、個としての人生を考えた場合、
細く先の見えない一本の糸の上を一人で歩いています。
不安でどうしようもないとき、下を見ずに周りを見れば、
同じように糸の上を歩いている人が見えます。
ラ・マレアは、毎日上手くいかないことが繰り返されるが人生ではあるが、
大きな世界の中に自分が確かにいることを私に教えてくれます。

最終日は雨、観客の傘が、つかの間の休息を得た道に花を添え、儚く散っていきました。
それは、僅か3日ながら、街と多くの人が同じ月を見た夜でした・・・。